HIGE DE BOIN

堂本剛ファンブログ

炎上とファンと時代とあれこれ

私はブログと同時にtwitterを始めるまでSNSというとLINEしかしたことがなく、twitterのアカウントを開設したといっても数か月でまだ一言たりとも呟いていないという自意識過剰なヘタレです。もう今更どう始めていいのか分かりません。

と、こんなことを書きだしたのはKinKi界隈がプチ炎上しているからです。

私はこの一件についてほぼ何も知らないとはいえ、怒る光一さんファンの気持ちも分かりますし、そもそも何に怒り喜ぶかというのは他人がどうこう言う問題ではないと思いますので内容については触れませんが、その方たちのtweetはハタから見ると事を大きくして炎上させようとしているようにしか見えず。件の芸人さんたちご本人のアカウントにかなりキツい言葉を直接送る人がたくさんいるのはかなりショックでした。

そしてつくづく感じたのは、KinKiが全盛期だった1990年代~2000年代前半、twitterがなくて本当によかったなあとういことで。今も、ジャニーズのタレントさんたちがSNSをやってなくて本当によかった。

海外のアーティストを見るとSNSを使いこなして当然。歌唱力も魅力的なビジュアルも人間力も才能もあって当然のその上で、社会に対して何を伝えるのかという発信力がアーティト=カリスマの価値として問われる時代になっているように思います。日本もそうなっていくのでしょうが、もう暫くはファンとの触れ合いとか社会情勢とかいいから一方的に作品を発信するだけの存在でいて欲しい。じゃないと剛くんの心配をするのが趣味である私はきっと身が持ちません。って世の中のスピード感を見る限り無理ですかね…。おっしゃタフネス鍛えるぞ。


◆ファンと時代とあれこれ

私は20年以上剛ファンなのですが、ファンは時代によって変わって行くものだという実感があります。

私が剛くんのファンになった1990年代後半の剛ファンは本当に若く熱くアホでした。もちろん私もです。都市伝説でもある「と○○か文書」は実在し、私の通っていた九州の小学校にも、どこぞのアホな小中学生が作ったと思われるしょうもない怪文書は出回っていました。ネットがなく拡散手段が文通であろうと少女たちのパワーは侮れない。あの頃当事者だった剛くんや周りの人たちは辛く大変で大迷惑だっただろうなと思います。本当に死ぬほど申し訳ないです。

そんな内輪でパワフルな一方で、剛ファンは沈黙の徒でもありました。剛くんが10代にしてお茶の間のアイドルになると、その突っ込み所満点のお笑いに対する若く未熟な自負は、本人が知らぬであろう色々な場所でネタにされることになりました。剛くんは当時から歌唱力や演技力については定評がありましたが、ネタにされやすいところもあって、雑誌の読者投稿欄からコラムから暴露系の芸能ニュースからラジオからお笑い番組に至るまでそりゃあ色んなところでネタにされていました。

とはいえ、ファンが反論の声をあげることは特にありませんでした。当時はTVのこっち側と向こう側の境界がくっきりしていて、「ファンが口出すことじゃないよなあ」という空気が共通認識としてあったように思います。また、騒ぐことは事態を徒に大きくするだけで、剛くんにとって何一つ良い結果にならないことが分かりきっていたためでもありました。(けっこう的を得ていたので反論しようがなかったというのもある)

ついにナンシー関がコラムでキツいことを書いた時には剛ファンは涙しましたが、予想していたファンからの抗議文が1通も来なかったそうで「堂本剛のファンはケツの穴が広い」と感心されたのが慰めとなりました。

また、人気芸人さんの深夜ラジオ番組でも、いくら剛くんが有名芸能人とはいえ10代の生身の男の子ということを考えるとリアルにかわいそうだったのですが、ファンからの抗議はなかったそうで。「剛くんのファンの子たちは俺らがラジオでこんなこと言ってるの気付いてないらしいで」という彼らの言葉に、「んなワケあるかい、みんなチェックして怒っとるわ!」とラジオに向かって突っ込んで溜飲を下げたりもしました。

ナンシー関の、若いアイドルの未熟さを許し持て囃すTV番組の姿勢を日本のエンタメ業界全体に広げて論じようとする鋭い批評はともかく、芸人さんたちのネタの数々は今だとファンによる炎上案件になるのかも知れません。それが無風でいられた時代はとっくにの昔に終わったんだなあと感じます。

20年前、沈黙をもってファンを自認していた私も、今ではブログにあれこれ自分の感情を書き殴るばかりか、時効時効と古いネタまで持ち出す始末。時代の変化も自分の変化もすさまじい。


沈黙が正しいのか攻撃的に反論することが正しいのかは分かりませんが、騒ぐことがロクな結果を生まなかったり、第三者の介入によって思わぬ反応を生んでしまうというのは、いつの時代においても変わらないように思います。それは、今の剛くんのバラエティ番組や小喜利のようなお笑いイベントを見て当時の寛容さを有難く思うときにも感じますし、なによりもここ数か月、剛くんの突発性難聴に対するファンの反応や事務所に対する憤りがネットニュース等でネタにされた時にも心底実感し、ブログに自分の感情を書き散らしたことをかなり反省しました。特に、ファンの不安が本人に伝わっていることを感じた時、そして剛くんが他者の不安を取り除くことを自分のすべきことだとLFで決意していた時には、無茶苦茶後悔しました。

言いたいことがあっても黙っていろということではなく、騒ぐにしても、それが単なる炎上や揶揄されて終わる結果にならないためには、きちんとタイミングや相手や言葉を選ぶクレバーな戦略が必要だということなんだと思います。

 

時代が変わったと言えばそれまでですが、それでも、タレントさんや表現の作り手の方たちに忘れないでいて欲しいと思うのは、声を上げずただ受け手であることを選択し、見る/見ない、買う/買わないでもって意思表示をする賢い方たちが、今の時代も大多数であり、サイレントマジョリティであるということです。

そこから脱落し、ボーカルマイノリティと成り果てた私が言ってもしょうがないことですが、ホントにそう思うのです。

 

 

何様のつもり (角川文庫)

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 ※ファンです。『負けたらアカン』のアカン子米欲しかった…。

 

 

【平癒祈念】