HIGE DE BOIN

堂本剛ファンブログ

KinKi Kidsの透明な線

KinKi Kidsのファンには、仲良しキンキが好きな方が多いと思いますが、私も好きです。

嘘っぽく聞こえるかもしれませんが、本当です。

私はKinKiさんについてはちょいちょいブランクがあり、ここ数年はほとんど見ていないのですが、たまに目にする二人が相変わらずまろい雰囲気で笑ってたりすると、
「ああ、堂本さんたちが二人で楽しそうに笑ってたら世界は平和…世は全てこともなし…」
と平和な気持ちになります。

ただ、仲良しニコイチ至上主義というわけではなくてですね。

「わあ、フツーに仲良さそう」みたいな時も、「仲良しファンサご苦労様です!有難く喜ばせて頂きます!」って時も、それぞれ楽しい。そして、片方が相方ブームっぽいのにもう片方は全然興味なさそうな時も、揃ってドライな時も、何かお互い思うところがありそうでサムい空気が流れてるときも、やっぱりそれぞれ面白いなあと思って見ているのです。

 

■僕らはこの場所を繰り返す

昔、KinKi大好きな文字通り子供だった頃の私は、
「この二人の出会いは運命で、二人の絆は永遠でずっと変わらないのね…」
とか思ってうっとり偶像視していましたが、当然ながらそんな訳はなく。

それは、KinKiがどうこうではなくて、20年以上も生きていれば、運命だろうが偶然だろうが、ずっと同じ濃さの線で変わらず結ばれ続ける関係が、生きている人間にとってファンタジーだと分かるわけです。

人は人との出会いによって変わり、新たな線が生まれると、元々あった線にも何かしらの影響を与えたり変化をもたらしたりします。

そういう風にして、人と人の間にある線は薄まったり濃くなったり、切れたり切ったり、時に復活したりを繰り返します。一度消えた方が濃くなる線もあるし、長さだって色々です。

死ぬまで無くならない線があるかどうかというのは、結局、死ぬタイミングで引かれている線がどうなのか、それだけのことであるような気もします。


松本隆さんがKinKiの関係を「点線のような人間関係」になるのではないかと表現したことがありました。2015年に放送された『SONGSスペシャル  時を超える青春の歌 ~作詞家・松本隆の45年~』(NHK総合)で松本さんがKinKiに宛てた手紙です。

人間は独立した点であって、点と点を線で結ぶと友達になる。

だが点でも線でもない、点線のような人間関係があって、ぼくが昔やってた、『はっぴいえんど』なんかがそうだ。
例えばぼくと大瀧(詠一)さんは、相手が生きてようと死んでようと、何も変わらない点線が引かれていて、それはもう永久に続く。

おそらくKinKiの2人もそんな感じになるのではないか。


ぼくはKinKiに、青春の壊れやすさと、その破片のキラキラ輝く感じと、何度壊されてもそこから立ち上がる魂の強さを書いてきた。
その相反する複雑な美しさを忘れずに歌い継いでください。

 

とにかく素敵な文章なので全文引用しましたが、松本さんと大滝さんの間の線が永久に続く点線になったのは、年齢を重ねたから、そして何よりも、はっぴいえんどが解散して新しい物や新しい出会いを生み出すことがなくなったからではないかという気がします。

いつか永久に続く点線になるかもしれないKinKiの関係は今はまだ現在進行形で、様々な出会いや別れを経験しながら、繰り返していく。

私が今のKinKiになんとなく感じるのは、透明な線です。

KinKiが20代半ばの頃までは、その時々によって二人の間の線も結構はっきり濃かったり薄かったりしてるような気がしていたのですが、出会って26年、ずっと一緒に活動している彼らの線は、切れることなくどんどん色が薄くなり、今では部外者には分かりづらい。

でもそれは、コンサートなんかで時々、照明を反射して鮮やかに光っていたりします。

「僕らはこの場所を繰り返す」という言葉は、2004年の光一さんのソロコンでビジョンに映し出された剛さん提供の詩の一節。エッセイ集『ぼくの靴音』(2005年/集英社)でも読めます。

「光る一つの星と宇宙になって重なって輝くために、僕らは繰り返す。君があまりに素敵で僕があまりに美しいから、恋の神様は未来への鍵をくれる。大丈夫、僕を信じて☆」

という(うろ覚えのため若干改変)つよっさんらしい絶妙にリリカルで電波なポエムなのですが、ハッとする強さがあって凄く好きです。

 

 【平癒祈念】