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堂本剛ファンブログ

『ぼくらの勇気 未満都市』('97)② タケルについて

引き続き『未満都市』を見ています。
今回は剛演じるタケルについて書いてみます。


<『ぼくらの勇気 未満都市』('97)>

金田一はじめちゃんもですが、櫨山P作品の剛は、正義感が強くて優しいけど世間とちょっとズレている、身近にいそうなのに現実感がない、庶民的なようで家族の匂いがない、そんなイメージです。
伊藤Pや瀬戸口Pが剛に家族と一緒のシーンが印象的な役を演じさせることが多かった*1のと対照的です。プロデューサーそれぞれの剛観でしょうか。

そんな、いまいち不思議な人だったタケル。
ドラマ放送当時、小学生だった私には、幕原という街での主役二人の役割について、ヤマトは分かりやすかったんですがタケルはさっぱりだった覚えがあります。

まずこのドラマの軸であるヤマト。
彼は、仲間のために自ら危険な役割を引き受け、人知れず悩みながらも自分が正しいと思う行動をとっていくうちに、みんなのリーダーとなっていきます。
ヤマトというキャラクターのポイントは、優しさや責任感もですが、何よりも熱血漢と称される行動力。誰かにやらされるのではなく、自分の正義感に従って自分が思うように行動することで、周囲の信頼を得て支持されていくんですよね。

一方、タケルには特に何かをしたいという意思が見えない。我も見えない。
タケルがヤマトと対立してまで自分の意見を通そうとするのは、ユーリとレイジさん、彼が特別な思いを寄せる二人がそれぞれ死んでいく直前、彼らのために何かしてあげたいと願う時だけです。それ以外の場面では、ヤマトのすることに手を出さず口もさず、なんなら手伝いもせず、ただ理解し信頼して隣にいました。

そもそもタケルは、ヤマトと違って幕原のために何かをしようということも特になかったように思います。ヤマトと一緒に何かをするわけでもなく、対立するわけでもなく、ただ一緒にいるだけ。相棒というには曖昧で不思議な関係です。

ヤマトとタケルは、あの街で暮らす子どもたちにとって、大人たちが死んで街が壊れていく悲劇を体験していない外から来た異分子です。
「外から来た二人」「特別な二人」として期待される存在。
そういう意味でタケルはヤマトの唯一の対等な人間で、タケルはヤマトが孤高の存在になってしまわないよう、バランスをとるためにそこにいるのかなと、当時は思ってました。

ですが、こうして年をとって改めて見ると、実はタケルというキャラクターには、分かりやすい役割があったような気がしてきました。


①ヤマトにとってタケルとは何だったのか。
②櫨P作品の剛に共通する点とは。
③このドラマのタイトル・幕原という街におけるタケルの存在とは。


①ヤマトにとってのタケル

「おにぎりもええ、味噌汁もええ。でも一番欲しいものは生きとるって証なんちゃうんか!!」(6話)
一つだけ外部からの差し入れが貰えることになった時、リーダーとして幕原に住む全員の意見を聞こうとするヤマトと、死んでいくレイジさんの為にギターの弦を貰って欲しいタケルが対立した時の、タケルの台詞です。
ここでギター弦が意味するものは「生きている意味」で、声を荒げむき出しの衝動で生きた証を求めるタケルは、システマチックで非情な「外の世界=大人の世界」が失った「少年の感性」の象徴です。

それは、ヤマトがリーダーとして一人で責任を背負い周囲の期待に応えて大人と対等に渡り合うなかで、失ってしまいそうになるもの。
そして、「外の世界」の大人と違う優しく勇気あるリーダーになるために、ヤマトに持ち続けて欲しいもの。

ヤマトは結局、幕原のみんなの期待を裏切り土下座するという代償を払ってなお、タケルの望むギターの弦を手に入れました。(うわお)

②櫨山P作品の剛

レイジさんが死に、彼の生きた証である曲を託されたタケルは泣きながら「俺は絶対死なへんからな」と呟きます。(6話)
ユーリは死ぬ間際、タケルに「死ぬな」という言葉を残します。(8話)
この「死んでいく人から生きることを託される」というのは櫨P作品の剛に共通するポイントで、そこにあるのは金田一少年が自殺する犯人からしばしば託されていたのと同じメッセージです。
死が日常にある世界で、死に抵抗し、どんなに辛くても生きることに真っ直ぐ向き合う。それ故にタケルやはじめちゃんは、死にゆく人から生きることを託されるのです。
それは、次の幕原におけるタケルの意義とも通じます。

③幕原におけるタケルの役割

タケルは幕原でマイペースに生活をしていました。
寝床を確保して食べて眠って洗濯して掃除してお風呂を沸かして、家族を思って、大切な人の死に泣いて、友達を作って、恋をして、失恋をして。
小さい子に勉強を教えたり、時に歌をうたったり。
それは、悲劇を経験して無秩序で暴力的な「中の世界」に閉じ込められた幕原の子どもたちに、忘れないでいて欲しいもの。
どんな悲惨な世界でも「逞しく普通に生きる」ということ。


分かりやすくはありますが、どれもちょっと抽象的です。
当時、あんまりそこんとこが伝わらなかったのは、見てるこっちの未熟さがあるのでしょうが、今見返してなお「タケルってやっぱ不思議」と感じてしまうのはもうドラマ自体にも原因があるような気が。
深読みする以前に、色々な粗や気になる点がどうしても目につくんですよね。

それは、撮影中に先の脚本がどこまであったのか怪しい当時の連ドラの製作状況からいっても仕方がないんだろうと思います。
でもやっぱり勿体無いなあとも思います。だって剛ファンだもの。

*1:藤井家、山崎家、柏葉家、赤井父、根津父、風吹母、内藤父、真行寺母、相沢弟妹、篠田弟妹…。他のPの作品も混ぜちゃいましたが、みんな好き。キャラ物や不幸系や恋愛物もハマってらっしゃいますが、個人的に剛君のお芝居の真骨頂は家族とのシーンな気もします。特に平凡な幸せ家族。「カレーは食べまあす」とか言ってたハウスのCMもよかった。いつか父親役、進みすぎですがおじいちゃん役も見たいです。