HIGE DE BOIN

堂本剛ファンブログ

9/15『堂本剛 東大寺LIVE』の感想

「大和は國のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 大和し美し」
(倭建命『古事記』)

 

ヤマトタケルが、死の間際に故郷である大和の国、奈良を偲んで詠った歌です。

九州のクマソに東北のエミシと、愚痴りつつも父ちゃんの命令に従って戦い続けたヤマトタケルノミコト古事記バージョン*1)。東征からの帰路、戦いに疲れ病に侵された満身創痍のミコトは憧れ続けた故郷奈良を前にして倒れ、この歌を詠い、白鷺となって飛んでいきます。きちんと古事記を読んだことないのでイメージが混じっている気もしますが、とても美しい場面です。*2

 

「できることなら、奈良で一人の人間としてなくなりたいとも思う」

9月15日の東大寺LIVEで、演奏後の長い長いMCの中で剛くんがこう話すのを聞いて、冒頭の和歌が頭に浮かびました。

 

ですが、あの日、東大寺で歌い、盧舎那仏に向かってギターを鳴らす彼に重なったのは、ヤマトタケルノミコトではなく、大和神話以前の、自然を信仰し三輪山や土着の神を祭る太古の奈良の人々でした。

 

少年時代に離れた故郷への愛を内に抱き続けてきた彼は、東京に出てから引き受けた多くの自分の役割を脱ぎ捨て、ただ奈良を愛する一人のヒトとして、幾度も焼失と再建を繰り返しながら1300年近くに渡ってこの場所から人々を見つめてきた盧舎那仏と向き合っていました。

とにかく考える人である剛くんは、この奉納演奏でどう盧舎那仏と向き合うか、きっと相当考えたのだろうと思います。人が1000年以上も考え続け、現代では多くの人にとって問いそのものが曖昧になっている「何か」に対し、正面から真面目に向き合い続けていくことは、どれほどの覚悟がいるだろう。伝えることを諦めず、自分の全てを込めた音を追求することは、どれほどの信念がいるだろう。こうして書いていると、あの日、彼が一緒に舞台に立つミュージシャンみんなに同じ衣装を用意した意味も見えてくる。

彼の思いを理解している、あるいは理解しようとしているメンバーたちとの素晴らしい演奏。『街』での涙。少し昔に戻ったような最後のMC。その全てが、奈良だからこそ起こった出来事で、彼のバンドが鳴らす音は、きっとまだまだ進化していくんだろうと思います。

 

あの日のライブはどこまでも盧舎那仏に捧げる剛くんなりの奈良曼荼羅であったけれど、最後に歌った『街』だけは、唯一、自分の生の感情を歌っていました。

その歌唱は、その場にいた全ての人間に、この1年間の彼の受難と努力、そして今も進行形で抱えている苦しみを感じさせずにはいられないもので、 あんな凄い空間はちょっとない。MCでは「奈良が好きすぎて泣いちゃいました」と言っていて、(いやいや、それだけじゃないよね!?)と思ったけれど、14歳で東京に出てから受けてきた様々な試練が、彼の中で最終的に『故郷への愛』へ辿り着くのだとすると、やっぱりあの、冒頭のヤマトタケルの歌を思ってしまうのでした。

 

あのLIVE後、数日間ゆっくり奈良に滞在し、和歌山をまわって帰りました。春の桜に初夏の田植え、夏の大文字焼きに秋の紅葉、そして山にうっすらと雪がかかる冬。奈良が美しい季節はたくさんありますが、私はまだ青さが残る稲穂と彼岸花があたり一面に見られる初秋の景色が一番好きです。この時期の大和盆地は本当に美しい。まさに「くにのまほろば」でした。

 

もうちょっと詳しく演奏のことなども書きたいのですが、なかなか上手くまとまりません。というか、その前に書きかけのレポが8月のフェスティバルホールからあって全部が中途半端です…。

ただ、明日、9月29日放送予定の『songs』(NHK)の公式ツイッター予告が東大寺からこっち何だか凄いことになってるので観る前に少しでも感想を残したくなり、まとまらないままに書いてみました。 

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※いつもながら写真忘れたー!ので大好きな写真家・入江泰吉さんの写真…

*1:古事記日本書紀でちょっとキャラが違う

*2:正解が気になる方は古事記