とんこつ味

堂本剛ファンブログ

『ぼくらの勇気 未満都市』('97)③ 最終話

まだまだ『未満都市』。
仕事をしながらの流し見ですが、一通り見終わりました。
なぜか途中でヤマトがレイジさんの上着を着てたり、モリが苗字じゃなくて名前だったり、色々と発見が。
今回は最終回の感想です。


<『ぼくらの勇気 未満都市』('97) 最終話「最後の勇気」>

最終話は見たことがないと思ってましたが、見てました。
施設に行ったちびっ子たちが『風のない街』を一斉に合唱するなんともいえないシーンで思い出しました。ききき、記憶力…!

ただ、びっくりするほど違和感満載で家族感ゼロなタケル家の存在は本当にまるっと忘れてました。
どうやったらあの家でタケルみたいのが育つんだ。家の中に影すらない父ちゃんが鍵なのか。無駄に深読みしたくなります。これがあったから私のなかでタケルという役の不思議感が凄かったのかもしれません。
そういえば櫨山Pも堤監督も、平凡な家族を撮るイメージがないような。
全く美味しそうに見えないスキヤキの存在感がこれまた凄い。

そんな最終話は眉村卓恩田陸チックな王道ジュブナイルSF。
ああ、時間がなかったんだなあという急ぎ足の展開で肩透かしの終わり方でしたが、色々と言いたい事が詰め込まれている感じでした。
この視聴者に伝えたいことが山ほどある感じは全話に共通していて好きでした。

さて、20年ぶりに見直して大きく印象が変わったのは、ヤマトとタケルの関係です。
前回の記事で、「相棒というには曖昧で不思議な関係」と書きましたが、そこのところ。(先走って感想を書くからこういうことに…)

自分の意思で単身幕原に残り、最後の戦いで総大将となったヤマトに対し、タケルは一度外の世界に出て平和な日常に戻りつつも「自分はここで昔のように生きることはもうできない」という、ある種の諦めを持って幕原のヤマト達の元へ戻ります。
5話でタケル自身がキイチに言った「アイツが逃げたとしても、俺らのことやオマエのことを忘れて暮らしていけると思うか?ここのことを忘れて生きていける思うか?」という台詞が効いてきます。

危険を伴おうと一人だろうと自分を貫き戦うヤマトは「正義」の象徴です。
「外の世界」に居場所をみつけられない幕原の子どもたちは、そんなヤマトに同調し、若い正義感に命をけます。守りたいものはあっても倒したい敵はいない、真剣でありつつもお祭り騒ぎのような子供達の戦い。勝利のビジョンの見えない戦い。

実は、ここで本当にこの戦いを現実的に見つめているのはタケルだけです。
エンディングの「ツリー買ってすっからかんや」というタケルのセリフは笑いにみせてかなり凄い。クリスマスツリーという無意味なものを買い、彼は自分の世界に別れを告げました。家族を捨て、夢を捨て、社会を見限り、有り金もはたいて、勝てないとわかっている戦いへやって来たのです。

そして、戦いの終盤、タケルはヤマトに「ユーリとの約束守られへんかもしれんな」と呟きます。
そこにあるのは、正義に命を懸けるヤマトの行動への理解と寛容です。

レイジさんが死んで「俺は絶対に死なへんからな」と泣いたタケル。ユーリに「生きろ」と言われたタケル。
この物語で「生」を象徴していたタケルの「死」を受け入れる言葉のリアルな響きに、ヤマトの表情が変わります。

そして、いよいよ追い詰められ、仲間たちが玉砕を覚悟したとき、ヤマトとタケルの二人は同じ結論にたどり着きました。

「死んでしまっては意味が無い。自分たちは大人にならなければならないんだ」

この二人が同じ結論を出すまでのプロセスは、今までの物語の細部が活きていていいなあと思いました。

現実を冷静に見ながらも、ヤマトの理解者として隣にいることを選択したタケル。
タケルの存在が象徴していたものに気が付くヤマト。

ヤマトが象徴していた「自分の理想と正義を貫く勇気」。
タケルが象徴していた「死を見つめ現実を生きる勇気」。

それは、どちらも失ってはいけないもの。
これから外の世界で生きる幕原の子どもたちに必要な「最後の勇気」です。

物語の最後、自転車で並んで家路に着く二人。
ヤマトとタケルが本当の相棒になって終わったような、いいラストでした。


最後に、見終わって今更ながら気がついたというか、思い出したのは、この話が小中学生向けのドラマだったということです。忘れてました。
うわあ、前回なんか毒まで吐いちゃったよ。大人なのに。恥ずかしい。
でも、次回も語ります。ただもう話に突っ込むのはやめます。(超手遅れ)


次回はドラマの内容というより、ドラマと現実のKinKi Kidsとの関連についてです。